泉陽冷熱株式会社 代表取締役 吉田 勘哉

プロフィール

1970年
堺市生まれ
1989年
近畿大学附属高等学校 卒業
1993年
近畿大学工学部建築学科 卒業
1993年
新日本空調㈱ 入社

オフィスビル・学校・演劇場・公共施設のリノベーション及び新築工事に現場補助員として携わる。

阪神・淡路大震災がの発生に伴い大阪支店から神戸支店へ配属となり復旧・復興活動に携わる。

1996年
㈱西原衛生工業所大阪店へ転職

オフィスビル・銀行・マンション・大型商業施設・庁舎等のリノベーション及び新築工事に主務・現場代理人として携わる。

2003年
泉陽冷熱㈱へ転職

2006年 先代社長の後継者として代表取締役に就任。

2009年 社内業務の「見える化」の必要性から社内業務マニュアルの作成・運用開始。

2010年よりワンストップサービスの観点から総合設備会社への変革のため、給排水設備工事・電気設備工事部門の工事管理能力強化への取組み開始。

2016年より住宅設備のZEH関連事業(太陽光発電/蓄電池/オール電化/HEMS)・住宅建築リフォーム工事で住む人に優しい住環境の創生への取組み開始。中長期経営計画「チャレンジ 2020 SENYO」の始動。

ある日突然「それ」はやってきた

Kanya Yoshida - SENYO, CEO


― 人生の分岐点となった大学進学

大阪府堺市で生まれ、幼少期は喘息もちの子供でした。喘息を克服するためにスイミングに通いだし、潜水で50m泳ぐことが出来る様になった頃にはすっかり完治し、小・中学生は野球少年でした。特に中学3年間は365日野球漬けの日々を過ごしました。

野球での高校進学も考えましたが、既に燃え尽きた気持ちの方が強く、8月から遅すぎる受験勉強に取り組み、なんとか志望校に合格することができました。

大学は、広島県で4年間ひとり暮らしでした。 本当は大阪の大学志望でしたが、相談した進路指導の先生の表情は暗く、しかし附属高校だったということもありちょっとくらいの融通は利かせてくれるだろうという甘い考えで系列校の第一志望学科を受験しました。合格発表は担任の先生がクラス全員の前で合格者の名前を発表します。呼ばれない生徒は不合格です。呼ばれなかったあの日の事は一生忘れません。私はどうやって帰宅したのかも覚えていないくらいショックを受けました。

しかし、今考えるとあの甘々な考えのまま大阪で大学生活を過ごしていたら今の自分は無かったかもしれません。親元を離れ生活する事で親のありがたみもわかりました。就職して大阪で働く事になるわけですが前向きに頑張れたのも高校時代のそういった反省の念(手抜きは必ず自分にしっぺ返しが来る)があったからだと思います。大学進学時の出来事は人生の分岐点で在った気がします。

― バブル崩壊、阪神淡路大震災、そして転職

阪神淡路大震災

大学時代は、車が好きだったので友達と夜遅くまで改造に余念がありませんでした。多分人生で一番気ままな時間を過ごしていたと思いますが、その反面早く働いてお金を稼ぎたい気持ちが強く芽生えてきたのもこの時期でした。

4年間の有意義な学生生活に別れを告げ、サブコンへ入社しました。時代はバブル期でしたので学生の売り手市場、いくらでも求人はありました。私も多分に漏れず3社ほどの内定をいただきました。同期入社は全国で120人。当時は一般的な数字です。そして1年目の冬のボーナス支給明細書をみて驚きました。「こんなにもらっていいのかな・・・」日本中浮き足だっていました。しかし、ググッと上がったボーナスは1年経過毎に急降下。バブル時期の終焉です。

就職し2年くらい経過した頃、阪神淡路大震災がありました。

復旧要員として任命された私は現地で作業に従事しました。現地では普段経験出来ない事を経験し自分の力不足を痛感しました。(詳しくは社長ブログ「地震と私」をご覧ください。)神戸での復旧工事もやがて落ち着きを見せ始め復興への道のりを歩み始めたある日の昼休み、常駐している現場事務所に大阪支店の課長から1通のFAXが送られて来ました。

そこには「期限までに就労ビザを取得せよ」と書かれていました。

台湾でのツインタワーマンション新築現場への配属。工期は1年半。できれば行きたくありませんでした。私の直属の上司も寝耳に水だったようで取り消しをかけあってはくれましたがもちろん聞き入れてはもらえず、まだまだ半人前で受け止める力も処理能力もない未熟な私は退社を決意しました。てっとり早く言うとわがままです。

ちょっとしたボタンの掛け違いで悲観的に捉えたり、自分のキャリア形成や目的がぼやけていると甘えやわがままが先行するのだと思います。人生の中でのたった1年半。当時は長く感じましたが今となっては経験しておくべき時間だったかなと思います。

― 6年間多忙を極め、習得したもの

吉田代表

次の就職先は、知り合いの社長さんの紹介ですぐに決まりました。前職は空調設備がメインで次は給排水衛生設備がメインの会社です。その会社には6年在籍させていただき大きなプロジェクトにも主務として携わりました。結果的に2回の転職を経て現在に至っていますが2社では本当に多くの経験をさせていただき今の考え方や経営にとても役立っています。

世間は自分が考えるよりあえて厳しいと思わなくてはいけない事。建設の仕事は長い歴史の中で確立された原理原則があって、その順番を間違えないように積み上げていく作業であり、手順を守らなかったりインスピレーションのまま事を進めると必ず目に見える形で問題が発生する事。たとえすぐには表面化せずとも数年後にはそれ以上の形で問題が発現します。

よって、現場担当者としては潜在的な問題を抱えたまま竣工を迎えるほど罪深いことは有りません。お客様に対して、会社に対して すなわち共に働いてきた仲間に対して無責任な事となります。

2社目での業務は多忙を極めました。やってもやっても終わらない日々。毎日終電、現場に泊まる事も多々ありました。朝目覚めて仕事に行きたくない思いに何度駆られた事でしょう。でもそうこうしているうちにある日突然「それ」はやってくるのです。

問題が引き潮の様にサーっと引いていく現象。一言では言い表せない爽快感があります。それを経験するたびに自分の成長を感じるのです。それが当時の私のやりがいだったような気がします。それ以後は経験値も増してどんなに大きな仕事でも平気になりました。「やる事は大きくても小さくても大して変わらないという法則」に気が付いたからだとおもいます。前述の「建設の仕事の進め方」を習得した瞬間でした。

― 「挑戦」と「持続」

吉田代表

私自身まだまだ苦労が足りませんが、「若いときの苦労は買ってでもせよ」という故事の意味を痛感せずにはいれません。今後は、さまざまな事に「挑戦」する社風を確立できるようにリーダーシップを発揮し、その中で社員ひとりひとりがやりがいを感じ、健康で幸せなビジネスライフを過ごせるようにしたいと考えています。社員が元気でなければお客様に期待以上のサービスは提供できません。

世界は地球温暖化という「人間による自業自得の天罰」にのみこまれつつあります。多発している異常気象がその表れかどうかは断言できませんが、私を含め個人レベルで異常さを感じとっている人がここ数年急増しているのではないのでしょうか。

弊社の仕事と密接に関係しているフロンガスや電力の今後を考え、再生可能エネルギーに関わる企業活動の絶対的な推進、延いてはサステナブル社会の実現に寄与できるように社員一同挑戦し続けて行きます。

何卒、引き続きのご愛顧賜ります様お願い申し上げます。

0120-29-0722

受付時間:8:30~17:15
(日曜日、祝日、第2・第4・第5土曜日は休み)


泉陽冷熱へのお問い合せ